1964年16歳で渡米、
ショービジネスでエンター
テイナーとして通用するま
ではアメリカのランキング
上位40曲を歌えなければ
仕事にならなかったという。

厳しい下積みを経験しなが
ら実力をつけていき、日本
でも活動1972年、デビ
ュー8年目にして『北国行
きで』が大ヒットする。

しかし良いことはなかなか
続かない・・・

ジョーのダイヤモンド
1977年
朱里エイコ
作詞:Paul Anka ・なかにし礼
作曲:Paul Anka
編曲:竜崎孝路

第7回東京音楽祭(国内大会)
ゴールデン・スター賞
作曲賞:ポール・アンカ

ジョーのダイヤモンド 朱里エイコ

第23回NHK紅白歌合戦に初
出場し、アメリカ仕込みの
歌とダンスで活躍するが、

朱里エイコ自身、なかなか
ヒット曲が出ず、日本では
時期的にアイドル全盛だっ
たことも加わって、実力が
ありながらも置いていかれ
そうな錯覚に陥り、躁鬱状
態になってしまう。

また精神不安定な状態から
の失踪なども大きなマイナ
スになってしまう。

1975年再びアメリカへ。

フラミンゴ・ラスベガスで
の彼女のショーを見たアメ
リカ人からカーネギーホー
ル出演を持ちかけられ、
日本人女性として初出演し
て、大成功を収めるという
快挙を成し遂げている。

2004年7月、虚血性心
不全のため自宅にて死去。

運命に翻弄されながらも
エンターテイナーとして
輝き続けようとする姿勢、

そしてパンチが効いた歌
唱は、リトルダイナマイ
ト、世界に通用するメイ
ドインジャパンと言われ、
没後18年経った今でも
その才能を惜しまれてい
る。

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