宝塚歌劇団の花組の男役を退団した
越路吹雪は1953年にフランスの
パリに渡りシャンソン歌手である
エディット・ピアフのステージを
生で聴き、大きな衝撃を受けたと
いう。

その後、ピアフがシャンソン歌手
としての越路の大きな目標になる。

後に越路の代表曲となる「愛の讃歌」
は、作曲家の黛敏郎がこれはいい歌
だからとすすめ、越路のマネージャー
である岩谷時子がそれを日本語詞に
完成させた。

そして「愛の讃歌」は多くの歌手に
も歌い継がれ、
2012年のフィギュアスケート
世界選手権銅メダルの鈴木明子選手
も、引退の時、燃える人生を歌った
この曲で滑走していたのは有名です
ね。

愛の讃歌
1950年
エディット・ピアフ
作詞:エディット・ピアフ
作曲:マルグリット・モノー

訳詞(日本語詞):岩谷時子

第56回NHK紅白歌合戦歌唱

愛の讃歌 越路吹雪

「愛の讃歌」が収録されたレコードや
CDは200万枚以上売り上げたと言
われている。

越路の死後、麻布山善福寺には
「越路吹雪の碑」と名づけられた
石碑が建てられている。
石碑には代表曲『愛の讃歌』の
歌詞が刻まれている。